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作者:管理人

229 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 04:21
ぼくと彼女のつかの間の仲じゃ当然かもしれないけれど
ぼくは彼女の家庭とかいつも暮らしてる環境を知らない。
帰りたくない。
と何度か聞いた彼女のセリフをすぐに思い出した。
何かあるんだろうな、と憶測しながらも聞けないし
あれこれ考えてから
「白と緑って何だったの?」と間抜けな質問をしてしまった。
彼女は笑いながら、「うん。白と淡いグリーン」
ニヤニヤ笑いを浮かべたまま、今夜のお楽しみだと言った。
あ、なるほど、そうか。
だったら緑だったのにな。
ぼくの前を走ったり、いきなり腕を組んだりせわしなく歩く彼女を見つめる。
ローライズのデニムに小さい紙のタグが残ってるのに気づいたから
彼女の腰に手をまわして、バリっと剥ぎ取ってあげた。
ん?と訝る。
タグ残ってたよ。とぼく。
小さな紙切れには「ミスシックスティーン」と英文で書かれたロゴが
ピンクの文字で印刷されてた。
16歳ね。
彼女は実際には20くらいなのかもな。
妙に大人びてたりするけど15だったりして。
真実は闇の中。最後までぼくは彼女の年を知る機会がなかった。




231 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 04:24
店は意外にも人が多かった。
はぁ。予約しといて正解だった。
3日だから。という理由は都心じゃ関係ないのか。
席に案内されると、コートを店員に渡した彼女が
「ヒロってさ。実はすごく遊んでるでしょ」と言った。
これには笑った。
実は、と彼女が言ったのには、見かけと違ってというニュアンスが強く含まれてて
喪男なのになんでこんなとこ知ってるの?と言いたげだった。
「いや、仕事でさ」
と正直に答える。
でも、彼女にはそれが真実とは伝わらないだろうな。
ぼくは彼女の頭の中でちょっぴり再構築され、彼女の男を見る目がやや改善される。
そんな馬鹿げたことを想像して笑ってしまった。
ぼくは姫様が推測するままの男。
食卓には高そうな分厚い刺繍のクロスが2枚かけられてて
店員が運んできたパンをぼくがいくつか選ぶと
直接クロスに無造作に並べられた。
彼女が好奇心に溢れた子供っぽい熱い視線で、給仕の手の動きを追う。
「食べてもいいのかな?」
「もちろん」とぼく。「コーヒーとか先にもらう?」
「ん〜。お酒飲みたい」
「好きなワインとかある?」
「よくわかんない」
ぼくもよく分からないから、給仕に選んでもらった。
パンを千切る彼女の手の動きは子供みたいに元気で
蝋燭の明かりと飲めないお酒でぼんやりしながら
ぼくは彼女の指先から肩
華奢な鎖骨から首すじ
そして唇が上下する様を見つめてた。
綺麗だよ。姫様。ここで食べたいよ。




234 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 07:37
メインが運ばれてきたあたりから
ふたりとも無口になって、それこそ食事に夢中になった。
なにしろ飢えてたし、こんな美味いとこ滅多に来れないし。
食事の後ぼくはエスプレッソ
彼女は飲み続け、デザートに手をつけないでそこからワインをもう1本空けた。
彼女がテーブルにだらっと、でも心地よさげに投げ出した手を握った。
閉じていた目をさっと開いて「どうしたの?」と小声で言う。
「綺麗だな。と思ってさ」
彼女の唇が左右へ引っ張られて、柔らかな笑顔、形のいいハイフンが作られると
彼女は突然テーブル越しにヘッドバッドしてきた。
彼女は美味しい食事を心の底から楽しんでて
こういう店でみょうにかしこまったり、ぎくしゃく上品に振舞ったりしないで
気後れすることもなく、ぼくといることを仕事と割り切ってないように見え
しかもリラックスしていた。
やばいな。ほんとうにやばい。
好きになってしまいそうだ。心底。
彼女は、はたと自分の前に置かれたケーキに気づいたかのように
それをしげしげと眺め、それからつつっとぼくの方へ押し出した。
「どうした?」
「ケーキ嫌い」と彼女。
「甘いの嫌いなの?」
「甘いの好きだけど、ケーキは嫌い」
しめたとばかりに2つめのケーキを頬張るぼく。
2杯目のエスプレッソを飲み出したあたりで
ぼくはだしぬけに気づいた。
彼女の首筋とか衣類にかすかに残ったあの香り。
バニラエッセンス。
すると彼女の実家は菓子屋なんだろうか。
いや、それにしてもバニラエッセンスの匂いってそんな強いのか?
バニラエッセンスの匂いだけ付着するものなのか?
彼女は菓子屋を経営する両親と上手く折り合ってない?
だからケーキが嫌い?
「さきっちょだけかじらせて」
そう言って手を伸ばした彼女の一言で、ぼくの推理は跡形もなく消し飛んだ。




235 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 07:45
気分よく店を出て、それからタクを拾おうとすると彼女が制した。
次はわたしが案内すると言い、まだ飲み足りないと付け加えた。
彼女の手を握り、ゆるやかに蛇行しながら繁華街からは逸れた方へと向かう。
夜風が気持ちよくて、珍しく彼女は身の上話をした。
「ヒロには優しいお母さんがいていいね」と。
「わたしね、お父さんにはもうずっと会ってないんだ」と。
向かった店は青白く光る模造真鍮の路上行灯が出ていて、
いかにも今っぽい安普請な、でもかっこいい造りで
中は雑誌の中でしか見たことのないようなおねえさんが沢山いた。
これじゃ場違いだ。ぼくがいていいような場所じゃない。
カウンタの一番奥のさらにその奥のテーブル席に座ると
すぐにホールのおねえさんがやって来て注文を急かされた。
肌がプラスチックみたいな、均一の茶色。染みひとつない。
頭も小さくて髪を後ろにひっ詰めてるせいで黒人女性のように見える。
白いストライプの入った黒の光沢のあるジャージ。
お腹はむきだしで、美しい筋肉で覆われている。
ジンジャエルとカルアミルクを注文して、それからやけに恥ずかしくなった。
「ここね、変なやつがあんまりいないし、朝までやってるし、
店員がちゃんとしてるからひとりで酔っても平気」
変なやつに何かされるんだろうな。彼女が酔ってると。
それから10分もしないで彼女はすやすやと寝息を立て始めた。
ワイン2本のうち1本と半分は彼女の胃袋の中。そりゃ寝ちまうか。
テーブルで勘定を済ませて、彼女を連れ出そうと抱えあげると
店内の客から、おおっ、と声が上がった。
内心ぼくは、彼女がダウンしてしまったせいで、心細かった。
こんな場違いな場所にひとり残された心境で臆病になり、早く退散したかった。
別に気取ってお姫様だっこしたわけじゃないんだけど、
妙な焦りで思わずやってしまったんだと思う。完全にキョドってしまってた。
ホールの女の子が気を利かせて、彼女のコート、
ウサギ毛の手首がふくらんだ灰色のプードルみたいな毛の塊とバッグを運んでくれ
おまけにドアまで開けてくれた。
「お気をつけて」と言ってくれたホールの女の子の口調は機械的で
見透かされたような気分が和らいで、それがせめてもの救いだった。




236 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 07:53
店を出ても彼女はいっこうに起きる気配がなく
タクが通るまで彼女を抱え上げたまま待つことなった。
ちっとも苦痛じゃなかった。
彼女は軽かったし、感触は心地よかったし、彼女の髪に顔を近づけたりもできた。
背後でさっきいた店の音楽とざわめきが大きく聞こえたので振り返ると
ドアが内側にやや開いたようだった。音が漏れたんだ。
次に、ドアが大きく開かれ、あの女の子が走ってやってくると
「これ、りかに渡して上げてください」
と言って一枚のフロッピィを彼女のバッグに押し込んだ。
タク呼びます?と言ってくれたけど、丁寧に辞退して、大きい通りまで歩くことにした。
タクはすぐに捕まり、彼女を乗せるとき
「りか。タクシー来たよ。これから帰るよ」とわざと彼女の名を入れて話しかけた。
彼女は一瞬目を開いてぼくの顔を確認したけど、すぐに興味を無くてまた深く眠った。
りかっていうのか。
どういう字なんだろう。いや、それすら偽名なのかもな。
道路は渋滞ぎみで、ホテルに到着するまでけっこうな時間がかかった。
ぼくもいつの間にか眠ったようで、運転手にホテルの近くで起こされた。
場所をそう指定したので、ホテルのロビーに横付けな間抜けは避けることができたわけだ。
部屋に戻って2時間ほど眠った。
寝苦しくて目が覚めたんだけど、彼女がしがみついてきてたせいで寝汗をかいてた。
そういえば、着替えとか用意してなかったんだよな。
シャワーを浴びてクロゼットからバスローブを取り出して着た。
鏡に映すと笑えるくらい似合ってなかった。
服だけでも取替えに朝早くにでも家にもどるか。
そんなことを考えながら、寝てる彼女をひっくり返し、服を脱がせ
ブラだけ取ってシーツでくるんだ。
彼女の下着は真珠貝の殻のような曲線が刻まれていて白で
その下着に包まれて横たわる彼女はおそろしく魅力的だった。
でも酔って寝てるし、まぁ仕方ないか。
煙草を吸ってから、彼女のバッグからフロッピィを取り出した。
ぼくは誰か他人の持ち物をひっかき回したりなんて普段しない。
けど、不思議と罪悪感はなかった。
フロッピィの中には、10kの画像ファイルが3つ。
拡張子はgifでブラウザでロードすると真っ黒な画面。
またまたオタに登場願うか。




244 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 19:05
画像ファイルをダウンロードしてオタにメール。
特に注釈は付けずにこれもよろしく。と。
それにしても一体なんだろう?
どう見てもただの真っ黒な画面だ。
液晶のせいで微妙な色合いが見えないだけなのか?
彼女は寝ているとはいえ、傍らにいるのに、注意が足りなかったのかもしれない。
それとも浅い罪悪感のせいで、大胆になっていたとか。普段はもっと繊細なはずだ。
そのとき寝ているはずの彼女がむくっと起きた。
なんの前触れもなく、機械仕掛けで動く人形が内部時計に反応して動きはじめたように。
あまりに唐突過ぎて声を出すことも、その場を動くこともできなかった。
もちろんPCにはフロッピィが刺さったままで、丁寧なことに画像まで表示してある。真っ黒だけど。
唾液くらいは飲みこめたかもしれなかった。
彼女は目を開けているのか、閉じているのか判然としない
菩薩像のようなとろんとした目で、あたりを見回し、それからぼくを認めると
「だめじゃんヒロ。早く消さないと」と言った。
「け。消す?なにを?」
彼女はとてもゆっくりと起き上がり、ベッドから降りると
ぼくの頭をぎゅっと抱きしめ、優しく額にキスしてくれ
それから四つん這いになって前進しながら、部屋中のコンセントを探し、そして抜きはじめた。





245 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 19:07
「りか。りか?」
何が起こったのかさっぱりわからなかった。
彼女はどう見ても意識がないように見えた。
確かに自立で歩いてはいるんだけど。
しばらくして、これって夢遊病ってやつ?
と乏しい知識の中から今の状況を上手く説明する言葉をなんとか探し出してみる。
「りか。なんでコンセント抜くの?何かまずいのかな?」
これじゃ不審者はぼくの方だ。
彼女はまるでそうするのが当り前のように、部屋の隅を戦闘中の兵隊みたいに這いまわっている。
「雷のときはね、コンセント抜かないといけないんだよ。わかった?」
PCのアダプタだけは足の指で押さえて抜かせなかった。
そういえば、寝言を言ってる人に話しかけちゃいけないとか、なんとか…返事だったっけ?
そんなことを思い出して、気味が悪くなった。
冷蔵庫のパワーが落とされ、サイドスタンドが消され、部屋は折り畳んだPCから漏れる光だけになった。
「さあ、大丈夫だよ。もう泣かないんだよ」
彼女はそう言うと、ぼくをあやすように抱きしめてくれた。
そう。あやすように、だ。
少なくとも、年上の男に接する感じじゃなかった。
まるでぼくを小さな子供だとでも思ってるみたいだった。
さっき服とブラを脱がせたせいで、彼女の乳房がじかに顔に触れる。
ぼくは複雑な心境で彼女を抱きしめ、ベッドに運んだ。
それから彼女は泣き出した。
長く泣き続けたために、やがて目を覚ましてしまい
再度ぼくを目の前に認めたあと、「ヒロ?」と確認するように言い、
次は自分が子供みたいにしがみついてきた。





246 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 19:10
「ごめん」と彼女は言った。
「怖い夢だったのかな?」
「怖いっていうか…わたし歩き回ったりしちゃった?」
ぼくは正直に、歩き回って部屋中のコンセントを全て抜いたと説明した。
疲れてるときとか、お酒をたくさん飲んだ夜はよく歩きまわるのだと彼女は言った。
見られたことを恥ずかしいと思っているのか、
やったことを後悔しているのか分からなかったけど、
その時の彼女は何かを深く思いつめてるようだった。
それから。子供。
「そう。子供。男の子なのかな?上手く言えないけどそんな気がした。君の?」
一瞬、彼女の両腕の筋肉がわずかに収縮したように感じた。
「ううん。弟」
「小さいんだね。まだ」
「ううん。小さいままなの。死んじゃったから」
「病気だったのかな?あ、答えたくなかったらいいよ。いろいろ聞いちゃまずいしね」
彼女は鼻をすすり続け、そしてぼくから離れようとしなかった。
離れるのがまるで悪いことみたいに、むしろ彼女がしっかりぼくを抱きしめてた。
「でも、ヒロはお客さんだしさ…」
「構わないよ。もう充分驚かされてる。ふつうの客なら怒ってるでしょ」
彼女はちょっと笑って、だよね、と言った。
「殺されたの」
「え?殺された?誰に?」
「おじいちゃんと、おばあちゃん」
彼女は喉から溢れようとする声を押さえ切れずに、肩を振るわせた。
目が真っ赤で鼻水が出てて、そんな顔を見られまいとしてか、またしがみついてきた。
「インフルエンザだったの。でも病院に連れてってもらえなくて、寝てれば直るって言われて。
でもね、おかしかったの、ずっと熱が下がらなかったし、そんな状態が二日も続いたのね。
わたしそのとき240円しか持ってなくて、それでもなんとか弟を病院に連れて行かなきゃって思って
でも、どこの病院に行ったらいいかなんて分からなくて、タクシーに乗ろうとしても
ぜんぜん相手にしてもらえなくて、すごい寒い夜だったの。
寒いのに弟の体は熱くて、子供でも水を飲ませなくちゃって思ったんだよね。
ポカリスエットを自販で買って飲ませようとしたんだけど
もう、ちっとも飲んでくれなかった。
呼びかけても目も開いてくんなかった。」
彼女は一気にまくしたてると、それから大声でわあわあと泣き始めた。




247 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/02(木) 19:13
ぼくは彼女をベッドに横たえることが、なぜか不謹慎な気がして
ベッドとベッドの間の床に座って長いこと彼女を抱きしめてた。
彼女を抱きしめたまま、フロントに電話してコーヒーをポットで頼み
ついでにレモネードをひとつ注文した。
「ヒロっていうんだよ。弟。ヒロと同じ名前…わたしが殺したって言われた。
そうだよね。あのまま部屋でおとなしく寝てたら、もしかしたら熱は下がったかもしれなかったよね。
わたしも死んじゃえばよかった…」
彼女が泣き止んだ頃には空は明るくなりはじめてて、4日の朝。
ふたりでコーヒーを飲みながら、お互いの身の上話をした。
話題を、ぼくが意識して外したから。
彼女が泣くのは、なんていうか、条件反射のようになっているように思えた。
もう何年もたっぷり泣いてきたんだろうし、罪はあがなえただろ。とっくに。
もっとも罪なんてあればの話だけど。可哀想な姫様。
彼女は最後にこう言ってくれた。
「ヒロが大きくなってたら、ヒロみたいに優しい男の子になってたかな」
ぼくは笑った。
優しくなんかないよ。ぼくだってお金で君を買おうとした。
その他大勢の男達と何もかわらないんだよ。




260 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/03(金) 18:31
コートのポケットに放りこんでたケータイが
ぐぐぐと振るえた。
ぼくにもたれて、うとうとしていた彼女がさっとまぶたを開く。
ぼくはまったく気づかないでいたけど、彼女の動作でメールと分かった。
オタからメールかな。

 >ざけんなよ。お袋ぴんぴんしてるじゃねーかよ。
 >おまえひとつ貸しな。ぜってぇひとつ貸しな。

弟だ。
家に帰ってもらえたようでよかった。
だけど、彼女といるときは勘弁してくれ。
いい年して「ぜってぇ」なんて言葉使ってるんじゃないよ。
DQNな文章。頭が痛くなる。
彼女がメールを読むぼくの無表情に心配したのか、仕事?と聞いた。
弟からだよ、と口にして、しまったと後悔した。
なんていうタイミングの悪さだろう。
ついさっきまで彼女は弟を思い出して泣いてたっていうのに。
ところが、次の言葉をさがしてぼけっと立ったままでいるぼくを
逆に彼女が気遣ってくれた。
汗かいたからシャワー浴びると言って、ベッドのシーツに潜りこみ
クロゼットに手だけ伸ばしてハンガーからバスローブをつまみだした。
素早い小動物の動き。
真っ白な長い脚が絨毯の上で数回跳ね、彼女はすぐにバスルームに消えた。
裸でいたくせに、汗なんてかいてるはずないのにな。
バスルームからシャワーの音が聞こえてくると
ぼくは散らかった部屋を掃除しはじめた。
彼女が抜いてまわったコンセントを元にもどし
彼女が買い集めた買い物袋、そこから飛び出して部屋中に広がった包装紙を拾い集め
ベッドメイクし、そして最後に
折り畳んだPCからフロッピィを抜き出して彼女のバッグにしまった。
「ああ、そうだ、昨日ね」
ぼくは大きな声でバスルームの彼女に話かける。
「君が案内してくれた店。そこの女の子からフロッピィ一枚渡されたよ。
君のバッグに入れてくれた」
バスルールで反響した篭った声がすぐに返ってきた。
「うーん。わかったぁ。ありがとう」
特に動揺する様子もない声。焦りもなく、ごく普通の彼女の返事。
彼女は中身が何か知らないのかもな。
あれこれ思案しながら、彼女の衣類をバスルームの入り口に置く。
綺麗に畳まれた四角い色の層を見つめながら
もちろん昨夜ぼくが畳んだのだけど
ふつう、男ってこういうことをするものなのかな?とぼんやり考えたりした。




261 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/03(金) 18:33
バスルームからアラブ人みたくタオルを巻いた頭をひょっこり突き出すと
彼女はまず部屋を見、それから足元に畳まれたブラと衣類があることに気づいて
にこっと笑い、そしてげらげら笑いはじめた。
バスルームに反響する彼女の笑い声。
「ヒロってさ。変わってるよね。几帳面なのはすぐにわかったけど」
ああ、やっぱりおかしかったんだな。
商売女の下着を畳んでしまう男ってことで、彼女の脳内で分析が始まってるに違いない。
自分では親切なつもりで気遣ったんだけど、同時にどこかおかしいとも気づいてる。
結果的にはかなり可笑しい行動。つまりいつものぼくの行動。
クライアントを気遣ったつもりの行動が、いつのまにか要領の悪い男の烙印に変化する。
「ヒロぉ。聞いてる?」
「うん。あのさ、別に君の下着に触りたかったわけじゃないんだよ…つまり」
「じゃなくて。あのね。わたしこんなことしばらくやってるでしょ。
男の人ってわたしに優しくしてくれてる風でいて、実はそうでもなかったりするの。
わたしがベッドに投げたコートに平気で腰を降ろすし、平気でわたしの靴を踏んづける人もいる。
下着持ってかれるなんてしょっちゅうだし」
プラスチックの化粧品のキャップか何かがバスルームの床で跳ねてコン、コーンと響く。あっ、と彼女の声。
「わたしなんて所詮そんな存在。ホテルに備え付けの便利機能。
そりゃ、ちょこっとは値も張るかもしれないけど…」
彼女はぱたぱたとバスルームから駆け出してきて、ぼくにジャンプした。
ベッドが大きく揺れる。
「なんかうれしかったよ。ヒロ。すごーーくうれしかった」





262 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/03(金) 18:35
とは言うものの。
Hはだめらしかった。
彼女の細い腰に腕を回して、引き寄せようとすると、逆回転であっさり逃げられてしまった。
アメリカ製カトゥーンのキャラクタよろしく、彼女は人差し指をまっすぐに立て、左右に振り
ちっちっちと口で言い、それから声に出して笑った。
彼女が子供っぽいしぐさできゃあきゃあ笑っていると
部屋のドアがノックされた。
ホテルの従業員だった。
彼はサンドイッチとコーヒーポットの載った銀の四角いトレイを持っていて
ホテルの便箋に書かれたメモをいっしょにぼくに渡してくれた。
友人からだった。メモには、ただ「おはよう」と書かれてるだけだった。
ベッドに行儀よく並んで座ってコーヒーを飲みサンドイッチを頬張りながら、今日の予定を話し合った。
ぼくが一度家に戻って着替えてくると言うと
彼女は渋谷に用事があって、それはすぐに終わるということ、その後で
どうしたのかぼくの家についてくると言い出した。
ぼくの部屋と家族をほんのちょっとでいいから見てみたい、
ぼくの部屋の窓から外が見たいと言い出した。
何となくわからなくもない気がした。彼女の気まぐれについて。
彼女が家族の団らんを欲しがってるとか、そんなふうには思えなかったけど
そこが気まぐれの理由だったりもするんだろう。
何より、ぼく自身に興味を持ってもらえたことが、ひどく嬉しかった。
ぼくはすぐにおーけいした。
見られて困るものなんてなにもない。
貧乏家族がいるだけだ。
結果彼女が1時間ほど早く出発することになり、ぼくが使ってる最寄駅で待ち合わせることになった。
もしかすると御節の残りくらいあるかもしれない。
馬鹿な弟が全部食べてなければだけど。





263 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/03(金) 18:36
彼女が出発してすぐにオタからメールがあった。
忘れちまってたよ。昨夜はいろいろありすぎたし。

 >まだ探偵ごっこですかヒロくん
 >君をそんなに魅了してやまない嬢様はきっととびきりの美人と判断します
 >見ただけで射精しちまうとか。おっと失礼。
 >画像アップよろしく。希望が聞き届けられない場合は
 >返信もありませんのでどうかご理解のほどよろしくお願いいたします

頭が痛くなった。弟といいオタといい。
話をしてると、いつも何かしら面倒なオマケがついてくる。
オタは無慈悲だ。ことこういうことに関しては。放っておけばまずレスはない。
仕方ないから初めて姫様に会った晩、渋谷のどこか、たしかホテルに向かう途中の路上、
自販で買ったコーヒーを飲む彼女を撮った画像を送った。
ケータイの画像だし、写りはよくない。
不自然な強い影のせいで、彼女があまり美人でないように見える一枚。
オタはすぐに興味をなくして、レスをよこす。
ぼくのほうが一枚上手ってこと。
送った途端、早くもレスが来た。これには驚いた。

 >ヒロくん。ぼくが芸能界に疎いと知ってて適当な一枚を送ってきたのでしょうか
 >どこかのサイトに転がったアイドル写真など興味ありません
 >嬢様の画像を希望します
 >それでも尚わたくしめを愚弄なさるおつもりならば、金輪際返信はないものとご理解ください





264 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/03(金) 18:39
頭がいたい。すぐにレスを返す。

 >嘘じゃないよ。ほんもの。さ、早く情報希望。あの3枚のgifはなんだった?

オタから。

 >あせってもらっては困るよヒロくん
 >まだこっちの条件に答えてもっらてない
 >ほんものというならあと2枚別アングルを所望

だめだ。意地になってる。どうもこういうところが大人気ない。オタの悪いところだ。
とはいえ送らないではレスもない。絶対に。
缶コーヒーを持って笑ってる彼女の画像。
それから決定的な、ぼくとふたりで写ってる画像の2枚を送った。すぐにレスが来た。

 >嬢様幾ら?おれも買う
 >つか、めちゃめちゃいい女。おれも好きになった
 >これじゃ不公平だ。おまえはおれに分けのわからん何かを突然送りつけてくる
 >おれは必死になって解読する。おまえだけ得。おれは損。こんな馬鹿な話があるか?

だめだ。相手にするのはやめた。
ポットに1杯だけ残った最後のコーヒーをすする。すごく美味い。
カーテンを開けて部屋から見える都内の風景を眺めた。
鳥が飛んでて、申し訳程度に緑もあって、そんなに悪くない。
ウインカーを点滅させながらゆっくりとカーブを進む車。
雨が降り始めたせいで、足早に歩くサラリーマンの黒い点。
風景を眺めてると、姫様との数日がまるで嘘のように思えた。
頭の中で、風景から人の動きを線で結んで切り取ってみる。
もちろんそこから何かを拾ってくるほど、ぼくは頭がいいわけじゃないし
閃きに突然襲われる天才であるはずもない。
でも、高速で移動する点を眺めるのはぼくにはどこか息苦しかった。
ホテル壁面に遮蔽されて、動かない点。
それがいまのぼくだ。
姫様の中へ逃げ込もうとするぼく。気まぐれにぼくを求める姫様。
つよい風が吹いて、大きなぴかぴかの窓に雨粒を叩きつけた。
雨粒は人を結ぶ線と重なって、頭のなかで弾け飛んだ。
ああ、そうだ。
ぼくには奥の手、オタが目の色を変えて飛びつくワイルドカードがあったんだ。

 >オタ。君はたしかぼくが持ってるエアジョーダンに興味があったよね
 >企業プレミアム
 >邪魔だから捨てようかと思ってたとこなんだけどさ

効果はてきめんで、すぐにレスがあった。

 >もうすこしお待ちください
 >分かり次第すぐにお送りします

オタのことだ、どうせ放っておいたんだろう。





273 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/04(土) 00:05
最寄駅の改札を出ると、彼女はもう来ていて
駅前のパン屋のカフェでコーヒーを飲んでいた。
パン屋のガラスに貼られた大きなロゴを通して、ぼくに手を振った彼女。
こういうときって、不思議にすぐ気づくんだよな。
会計は済ませてあるのか、彼女はすぐに腰掛けてたストールから降りると
足早に店から出てきた。
ぼけっと立ったまま彼女をみつめるぼく。
白いコート。キャラメル色の細い、踵の高いブーツ。長く降ろした髪。上品な化粧色。
心底驚いてしまった。
デートクラブから呼び出されてくる女の軽い匂いなんてどこにも残ってなかった。
はじめて会ったときの子供っぽさも、酔いつぶれてホテルまで運んだときのだらしなさも
昨夜泣いた可哀想な姉としての彼女もどこかへ消えて
近づき難いどこかのお嬢様が目の前にいた。
過去を詮索するなんてとんでもない。どこか存在感のない綺麗さ。
ぼくはすぐに、彼女を家へ連れ帰ったときの
「家族全員にたいする悪影響とそのダメージ」について考えてみた。
上がりまくる親父。キョドる弟。
白いコートを着た雪女が室内を完全冷凍したみたいに、空気もろともカチンと凍りつかせるだろう。
大げさなアメリカ製カトゥーンの1フレームが間違いなく我が家に再現されるだろう。
ぼくらは連れ立って家へ向かった。
だって、そうするしかないもんな。





274 名前:70 ◆DyYEhjFjFU   投稿日:04/09/04(土) 00:08
小さな商店街を抜けるとすぐに郊外の田園風景。
風の匂いに草の香りが混ざる。それでもどこからか運ばれてきた車の排気と
人口肥料の鼻をつく匂いもかすかにあって、とてもノスタルジックからはほど遠い。
彼女は自分の家のまわりの風景に似てると言った。
そうだね。都内も郊外も都市近辺はどこも似ている。
画一化された緑化計画と企画品でつくられた建造物。
どこもかしこも、まったく同じプラスチックがシームレスに並んでるように見える。
なんだか生きてるみたいだ。
現実は非現実的で、夢物語が現実。
映画のストーリーやテレビドラマの中に生きながら街に溢れる人。
いつの頃からか、ぼくは姫様をこの世のものでなく
どこかしら遠い夢の世界の住人として捉えるようになってた。
どうしようもない現実の中で苦しんでる姫様を。
これは推測だけど、
彼女がお守りとして後生大事に持ち歩いてるクマのぬいぐるみは
きっと彼女が小さかった頃、もっと小さかった弟に作ってあげた大事な品。
首に下げれるように首のとこに紐通しがのこってて
いまではそこがほつれて、中身のビーズが飛び出しそうになってる。
このクマがつまりぼくそのもの。
現実には存在するのに、存在しないもの、意識のないものとして扱われる、でも愛すべき対象。
クマのご主人様はとうの昔に死んだ。
でも造り手はいまでもその名残と記憶を愛してやまない。
彼女が何年も前に失った弟はいまなお彼女の側にいて、彼女を苦しめてる。
つまり間違いなく実在する現実。




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